ESSAY: How education can shape one’s future

by Anna Takai Updated: May 19, 2022 Education doesn’t only affect one’s current situation, it can also affect one’s future. One of the main causes of homelessness is unemployment. According to the US Labor of Bureau Statistics, claiming that the unemployment rate of people who earn a doctoral degree is 2.5%, while the unemployment rate of …

「水は世界を繋ぐ」

This essay was awarded in the National Thinking about Water competition, when I was in Freshman year. 第43回「全日本中学生水の作文コンクール」入選受賞 高井杏菜 May 1, 2021 世界的に新型コロナウイルスが発症し、コロナ禍の生活がすでに一年以上も経過する中、日本では綺麗な水で手洗い、うがいができるおかげで感染者を少しでも抑えることができている。手洗い、うがいはSDGs(持続可能な開発目標)の3番「全ての人に健康と福祉を」を表している。私達にとって水は、生きる上で絶対に必要な資源だが、時々当たり前と思ってしまうものだ。地球の約7割は水で、体内の約6割も水である。ところが、そんな水も無限ではない。水がなければ私たちは生きられないことを深く認識しなければいけない。 コロナ禍の状況でも、衛生面が十分に足りていない国もあり、綺麗な水を使えないことが感染拡大の一つの原因となっている。例えば、インドでは素手で食べる文化があるため、ウイルスの広まりが早く、1日の新規感染者の平均が約30万人もの感染者がいる。UNICEFによると、世界の5人に1人は安全な水が使用できない。つまり、日本のように安全な水を当たり前に使って手洗い、うがいができる環境は、世界でもとても恵まれている国と認識しなければいけない。 私は2年前に学校の教育開発プログラムでカンボジアに行き、2日間に渡り、現地の学校の子供達に英語やゲームなどを教え、交流をするボランティア活動に参加することができた。カンボジアのトイレは自動で流れず、隣にあるバケツを使って水を運んで流すところが多い。だが、その学校では井戸に水が足りてなく、トイレを流すことも困難で大変驚いた。ニューヨークと東京で育った私は、水に困ったことは全くなかったため、衝撃的だった。また、カンボジアの水道水は飲んではいけないと言われ、事前に水道水を飲まないように注意を受けた。カンボジアの水の状況はSDGsの6番「安全な水とトイレを世界中に」を表している。他国を知る事で、日本が水に恵まれている環境であることが認識できる。 昨年、学校のプロジェクトで地球温暖化についてリサーチをする機会があった。その時から私は環境活動家のグレタ・トゥーンベリの活動に注目している。私とあまり年が変わらないのに、世界中の人々に地球温暖化という重大なトピックに関心をもてるように、と活動している。地球温暖化はSDGsの13番「気候変動に具体的な対策を」を表している。地球温暖化により、世界中の氷河が溶けて水が増え、毎年海面が上昇していて、海洋生物の滅亡にも影響している。私はエアコンの使用を控えたり、シャワーの時間を短くしたり、出かけるときは、いつも自分の水筒を使ったり、エコバックを常に持ち歩いている。こうした地球環境を守ろうとする小さな行動も、皆んなが習慣化すれば必ず変わっていくと信じている。有名な画家、ゴッホが言ったように、「素晴らしいことは瞬間的に行われず、一連の小さなことによって行われる。」他人がやっているから安心せずに、地球に立っている一人一人が気を付ければ地球温暖化をきっと遅らせることができる。 私も将来、グレタ・トゥーンベリのように尊敬されるような存在になりたい。私の最大の目標は、国連本部で働くことで、水の課題も含め、様々な社会問題の解決に貢献することだ。イギリス人の歴史家、トーマス・フラーは「井戸が枯れて初めて水の価値がわかる。」と言った。手洗い、うがいはコロナ禍の中、当然のように私たちは行っているが、そんな綺麗な水も無限ではない。世界は水で繋がっている。私はさまざまな経験を通し、安全な水に恵まれている日本の環境に感謝し、他国の今後の課題に向き合っていきたい。水がなければ私たちは生きられない。地球上の一人として、どうすべきか?私には何ができるか?常に考えて行動し、皆んなが笑顔になれるような世界にしたい。

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい

This essay was awarded silver medal in the United Nations Japan SDGs competition, when I was in 8th grade. 第60回「国際理解、国際協力のための全国中学生作文コンテスト」東京都大会、銀賞受賞 高井杏菜  August 31, 2020 私は生まれてから10才まで、アメリカのニューヨークに住んでいた。家の近所、マンハッタンのエンパイアステートビル近くのストリートには、よくホームレスの人達がいて、ダンボールをしいて、その上に犬と座り、コインを入れたコップをガチャガチャと鳴らして、歩いている人にお金を求めていた。私にとって、この姿を見るのがとても衝撃的だった。毎朝、私はこのような光景をみて、学校に通っていた。「なぜこのような生活をしている人が世の中にいるのだろう。」と、毎日考えていた。日本へ帰国してからも、ホームレスや貧困、飢餓に苦しむ人々のことを考える機会が増えた。  1つ目のきっかけは、東京のインターナショナルスクールで、日本での貧困問題について取り組み、プレゼンをしたことだ。「スープの会」というボランティア組織に参加して、靴下やお菓子などを持参し、味噌汁と一緒に皆んなで新宿のホームレスの人たちに配布した。またインタビューを通して、いろいろな話を聞くことができた。子供の頃、どんな生活をしていたのかと聞くと、ほとんどは私のように普通の生活をしていたことを知り、驚いた。病気で仕事が出来なくなくなってしまった人、会社と上手くいかなくなってしまった人もいた。最初は、ホームレスと話すのは少し怖いと思っていたが、話をすると、皆んなとても優しい人達だった。  私はこの活動をするまで、日本ではホームレスの人達を見た事がなかったので、日本に貧しい人は存在しないと思い込んでいた。けれども、この活動を通し、ニューヨークと違って公の場所にいないだけで、日本にも貧しい人は存在する事を知り、世界の貧しい人のために何か役に立ちたいと考えるようになった。以来、少しでも力になりたいとの思いから、駅で「ビッグイシュー」という雑誌の販売をしている人を見かけると、購入するように心がけている。それは、販売しているホームレスの人の収入になるからだ。このようなほんの少しの行動でも、世界は変わると信じている。  2つ目のきっかけは、学校の「TISカンボジア校教育開発プログラム」に選ばれ、カンボジアで活動をし、また日常生活を経験した。カンボジアの学校では、2日間に渡り、8歳〜16歳くらいの子供達に英語やゲームなどを教えた。鯉のぼりを説明して、一緒に作ったり、サッカーをしたりして、楽しい時間を過ごした。生徒達は、通学のため8歳くらいでも自分で電動バイクに乗って来ていたことに驚いた。また友達と先生でトゥクトゥクに乗っていた時、お金をもとめて貧しい女性が細い両手を差し出してきたという、衝撃的な出来事があった。最初は少し怖くなったが、これが現実なのだと思い、貧困と飢餓問題を経験している人々の力になりたい気持ちが大きくなっていった。  このような経験から、私は何とか2045年には貧困と、飢餓をゼロな世界にしたい。そして現在、A-GOALというボランティア組織に参加し、寄付をしたり、また自分に何が出来るかを探している。  World Food Programmeのサイトを読んでいた時、こんなことが書かれていた:「すべての人が食べるのに十分な食料が生産されている一方で、8億2100万人(世界人口の9人に1人)がいまだに毎晩空腹を抱えたまま眠りについています。」この文章を読み、再び心を打たれた。この人々のために何かをやらなければ、何も罪もない人が亡くなってしまうのだ。私はこのような生活をしている人々を助けたいため、将来はニューヨークに戻り、国連で働きたい。貧困と飢餓で苦労している人々、教育を経験できない人々、地球温暖化の影響で沈んでしまう国々に住んでいる人々、世界で大きな問題になっている海洋汚染など、人類の困難を救いたい。どんな国でも、人々がつながれば、地球は一つになる、と私は信じている。2045年、皆んなが笑顔になれるような世界にしたい。